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FEATURE —特集—

40歳になる、わたしたちへ。 第2回/平田満  名優が40代に抱えていた葛藤と70歳の現在地点

平田満さんは、私が敬愛する俳優だ。大学時代、演劇部だった私にとっては『海と日傘』や『こんにちは、母さん』といった舞台作品が印象深い。特に、『こんにちは、母さん』は本サイトの企画「30歳になる、わたしたちへ。」にご登場いただいた、尊敬する永井愛さんの作品とあって鮮烈に記憶に残っている。

読者のみなさんにとっては、連続テレビ小説『虎に翼』のワンシーンが記憶に新しいのではないだろうか。最高裁判所初代長官である星朋彦(=平田満)が、寅子(=伊藤沙莉)が改稿作業を手伝った著書の序文を声に出して読むシーンだ。劇中はもちろん、テレビ画面を飛び越えて多くの人の胸を打ち、SNSでも話題となった。

https://www.instagram.com/reel/C85_gQjIAr-/?utm_source=ig_web_copy_link

一体、どうすれば、このように深みのある芝居ができるのだろう。人生経験だろうか。平田さんの40代の頃のお話を聞くべく、取材を申し込んだ。

<プロフィール>
平田満(ひらた・みつる)
1953年生まれ、愛知県出身。早稲田大学在学中につかこうへい氏と出会い、1974年には劇団「つかこうへい事務所」の旗揚げに参加。82年に公開された映画「蒲田行進曲」では、同年度の日本アカデミー賞最優秀主演男優賞など、数々の賞を受賞。2001年には「こんにちは、母さん」などで第9回読売演劇大賞最優秀男優を受賞。2006年に企画プロデュース共同体「アル☆カンパニー」を立ち上げて以来、さまざまな自主公演を開いてきた。24年に新しく立ち上げた「パタカラぷろじぇくと」では、9月5日・6日に中野富士見町のニュー・サンナイで投げ銭制の短編戯曲のリーディングを開く。

http://aru-c.com


40代は再出発のタイミングだった

――平田さんは今70歳なので、40歳というと30年前のお話になります。その頃、キャリアやプライベートのことについて、どんなことを考えていたか覚えていますか?

40代になって間もない頃だと思うんですけど、一度、事務所をフリーになりました。それで、今の事務所(※アルファエージェンシー)とご縁があるまで、僕の個人事務所で6、7年ほどやっていたはずです。当時の自分が何を考えていたかというと、いただいたオファーの役柄が、全て同じように感じてしまっていました。

仕事をオファーしてくださる方には感謝していましたし、ありがたいと思う気持ちがある一方での話です。本当にこれが自分のやりたいことなのか、と考えていました。

――そう思う理由には、何があったのでしょうか。

当時、キャスティングしてくださった方は僕の20代の頃……つまりは『蒲田行進曲』の芝居をイメージして、オファーをくださっていたと思うんです。僕は他の上手な俳優さんみたいにいろいろな引き出しを持っているわけじゃないから、「平田には、こういう役がいいだろう」とオファーしていただいたと思うんですけど、自分のなかでだんだん新鮮味がなくなってきていたんでしょうね。

やっぱり、どの仕事でもそうだと思うんですけど、ルーティーンになってしまう時ってあるじゃないですか。それで、「今までと違う芝居をしなきゃ」と感じていたように思います。でもね、僕にあくどい役ができるわけでもないし、異なるイメージの役をする力量なんてないんですよ。挑戦してこなかった自分のせいなんですけど。

自分のなかで明確に「こういう役がやりたいんだ!」という気持ちがなかったのに、そんなことを思っていたのだからダメですよね。でも、40代の頃は自分なりにチャレンジをして、それでダメだったらそこまでの役者だったんだと見切りをつけて、次の仕事を見つけようとさえ考えていました。本気ですよ。

――そうだったんですね。もしかして、52歳の頃に立ち上げた「アル☆カンパニー」は、自分の役を広げるためのチャレンジだったのでしょうか。

それはですね、たまたまです。ある芝居好きの飲み屋のオーナーさんが自社ビルを建てて、「多目的ホールも擁しているから、何かやってよ」と言われたんです。そこで、オープニング記念にリーディングをやらせていただいて。そこから、気づいたら1年に1回ぐらい公演をしていました。

――では、40代の頃に抱えていた悩みというのは、いつ頃、解消したのでしょうか。

自分で出演料やスケジュールの交渉をしていくうちに、精神が健康になっていったというか。それまでは事務所のマネージャーさんがあらゆる交渉をしてくれていたので見えない部分が多かったのですが、自分で交渉をしていくと、今まで見えていなかった部分がだんだん見えてきたんです。

すると、以前と似たような役のオファーが来ても、不思議なもので意欲が湧いてきました。

――自分でつくった料理に愛着が湧くような。

似ているかもしれません。だから、まずは気持ちの面を整える必要があったんでしょうね。「これ以上、同じことを続けられないな」と思えたのが40代だったのも、再出発する時期として良かったのかもしれないです。50代、60代になって気づいても、体力的にも精神的にもやり直しできなかった可能性がありますから。

荒療治だったかもしれませんが、今もこうして芝居の仕事を続けていられているので、結果的には良かったのかなと思います。悩んだ時には殻に閉じこもらずに、何でもやってみると。何もしないよりは、何か行動に起こしたほうが絶対にいいですから。

「おもしろい人生だった」で幕を終えたい

――9月には、奥様で俳優の井上加奈子さんと新しく立ち上げた「パタカラぷろじぇくと」で短編戯曲のリーディング公演を開催しますね。「シンプルな公演」を謳った、入場無料の投げ銭制の公演です。70歳にして、なお、新しいことにチャレンジする意欲がすごいなと思いました。

お金を掛けずとも演劇ってできるはずだよな、というのが「パタカラぷろじぇくと」の出発点です。自分はもともと、アングラの小劇場出身ということもあって「役者の肉体一つでやるのが芝居だ」くらいの考えからスタートしていて。

やっぱり、大きな劇場で舞台をつくろうとすると、お金が掛かるんです。実は妻と20年近く一緒にやってきた「アル☆カンパニー」が助成金を打ち切られてしまったので、これまでと同じことはできないな、と。それでも、無理せずに何か続けられないかと思った結果です。

――根っからの役者というか、演劇好きなのでしょうね。新国立劇場などの大舞台に立つ一方で、規模は小さくとも自分たちの舞台を手弁当でつくろうとしているのですから。

自分たちがおもしろいと思えることをやってみよう、というだけの話ですよ。でもね、自分の限界を見てみたいというか、やっぱり納得する人生を送りたいという気持ちがあって。おもしろい人生だったと思って最期を迎えたいので。

劇場を押さえたり、舞台装置をつくるとお金が掛かるので収支を考えなくてはなりませんけど、肉体一つの無料公演だったら、極端な話、お客さんが一人でも成立するわけですから。楽しみです。

70歳、自己評価は「今なお未熟」

――平田さんは、自分という人間が完成していくような実感はございますか?

今なお未熟ですよ。背伸びしても自分の背丈はこんなもんだよな、と感じています。別に、この歳になって悟ったわけではないんですけど。

――謙虚すぎませんか?

そんなことありませんよ。たとえば僕は、40代の頃は「自分がやりたいのは名もなき人間じゃないんだ」という気持ちが、どこかであったと思うんです。でもね、最近になって気づいたんです。いや、思い出したと言うべきでしょうか。自分が昔から好きだったのは、社会的に評価されている人や自我の強い人よりも、そうじゃない人のほうだなって。それこそ、名もなき人々というか。

だから、これからは平凡な老人役でちょっと出るくらいで十分だと思っていて。私には、そういう役が向いているんです。ドラマや映画、舞台を観てくださった方に「あのじいさん、おもしろいな」と思ってもらえれば、それでいいです。そういう役を書いてくださる作家さんがいれば、とてもうれしいなと思います。

――そうなんですね。でも、それって正に『虎に翼』の星朋彦役じゃないですか。この記事のリードでも紹介する予定ですが、著書の序文を読み上げるシーンがSNSですごい反響でした。SNSはご覧になりましたか?

いえいえ、見ていません。疎いもので。

――ぜひ、見てください。いろいろな声が。ほら。

あはは。あの時は、(※序文の書かれた本を読みながらセリフを読み上げるので)セリフを覚えなくていいやって、みんなを笑かした後だったんですよ(笑)。

――名シーンにそんな裏側があったとは……(笑)。では、本日はありがとうございました。これからも平田さんの出演作を楽しみにしています。

ありがとうございます。

<8/5〜6開催のリーディング劇の情報は下記リンクから>
https://aru-c.com/stage/パタカラぷろじぇくとvol-1-短編戯曲リーディング/

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